プロフィール
ナツ
2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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2024年11月09日

長篠地区慰霊祭・・・清水忠雄さんが紙芝居


 新城市鳳来遺族会長篠支部(伊藤和志支部長)の慰霊祭が4日、同地区の正福寺境内にある忠魂碑前で行われ、戦没者の冥福を祈り、恒久平和への誓いを新たにしました。
 式典は神事の次第により進められ、参列した遺族や地域住民ら約20人が玉串を捧げ、手を合わせました。
 式典後には、副支部長の清水忠雄さん(70)による紙芝居「野ばら」(小川未明作)が上演されました。友情の素晴らしさと戦争の理不尽さを語りかけるもので、昨年の「峠の老桜」に続き、平和を願う内容となっています。
 清水さんは「高齢化が進み、戦争の悲惨さを知っている人が少なくなっている。自分たちのできることで、平和を祈り、平和の大切さを伝えていかなければいけない」と話します。
  

2024年10月29日

歴史本「しんしろのまち」再版


 新城市橋向地区の「橋っこクラブお宝発見隊」(浅岡勝代表・会員11人)がこのほど歴史本「しんしろのまち」を再版しました。再版報告会が25日、橋向公民館で開かれました。
 中町の故・大久保友治氏が2014年自費出版した歴史本に書かれた「しんしろ百話」を多くの人に読んでもらいたいとの会員の思いから、地域活動交付金を活用し、150部再版しました。A4版、160㌻で新城小学校区の1500年後半から明治にかけての歴史、文化、その当時の暮らしなどが年代別にわかりやすく書かれています。

 報告会には、大久保さんの妻・達子さん(95)も出席し「再び多くの方に読んでいただけることになってうれしい」とあいさつしました。
 会では浅岡代表から、再版までの経緯や貴重な本を後世に残せることの喜びなどが述べられました。今後の勉強会の講師の紹介もありました。
 今後5回の勉強会を開催し、本の内容を順に読み深めていきます。最後は現地講習会の予定。
 講師は、郷土の歴史に詳しい小林芳春さん、湯浅大司さん、高田孝典さん、和田守功さん、原田純一さんが務めます。第1回の勉強会は、11月29日18時30分から同公民館で行われます。

  

Posted by ナツ at 18:11Comments(0)情報歴史3

2024年10月20日

田辺一邑講談会「鳥居強右衛門と長篠設楽原合戦」開催


 山吉田地区の名所や歴史をPRしようと有志で活動する柿本城武将隊(荘田末雄隊長)が11月10日、地区の下吉田公民館で講談師・田辺一邑(たなべいちゆう)さんによる講談「鳥居強右衛門と長篠設楽原合戦」を聴く会を開きます。開演は午後1時で入場無料。
 1575(天正3)年、長篠城主・奥平貞昌の家臣・強右衛門は、武田勝頼軍に包囲された長篠城から、織田信長・徳川家康に援軍を要請する使者として派遣されました、任務を果たした帰りに武田軍に捕らえられました。武田軍の命令に反し「援軍は来るぞ」と味方に大声で伝え磔(はりつけ)にされてしまいます。これを講談協会所属で故郷浜松市を中心に活躍する田辺さんが講談に仕立て演じます。
 一邑さんの講談前には、一邑さんの弟子・田辺一記(かずき)さんが、講談「大久保彦左衛門鳶ヶ巣山初陣」を演じ、奥三河ふるさとガイドの高田孝典さんが「長篠に賭けた英雄たちの野望と思惑」のテーマで講話します。
 武将隊は、NHK大河ドラマ「女城主直虎」放映前に、井伊家ゆかりの柿本城を盛り上げようと2016年結成されました。講談会の開催は、これが3回目。
 荘田隊長(69)は「長篠の戦いから来年450年。講談を聴く機会はあまりないと思うので、大人から子どもまで、多くの皆さんに楽しんでいただきたい」と来場を呼びかけています。
【問い合わせ】 荘田隊長 ☎090―7021―8953

  

2024年08月18日

第33回新城薪能(たきぎのう)開催


 新城市で約280年受け継がれてきた能楽を演じる新城薪能(市、市教委主催)が19日、新城文化会館で開催されました。小ホールを埋めた多くの市民が、新城能楽社、新城狂言同好会、東三喜多会の町衆40人余りが演ずる能や狂言などの伝統芸能を堪能しました。 
 能の「葵上(あおいのうえ)」と狂言の「六地蔵」が披露され、会場から大きな拍手が送られました。

 「葵上」では、源氏の君の正妻・葵上が原因不明の病に倒れ、巫女が霊を呼び寄せると、かつて源氏の君の愛人であった六条御息所の生霊が現れます。六条御息所は、葵上への激しい嫉妬からその霊となり、葵上を苦しめていました。小聖(修験者)の祈祷で死闘が繰り広げられ、生霊は鎮められ、葵上は回復します。観衆は現実と霊界が交錯する独特の世界に引き込まれていました。
 狂言の「六地蔵」は、六体の地蔵を作ってもらうため都に出てきた田舎者が、一儲けしようとするスッパ(詐欺師)に出会います。あすには地蔵ができると約束されます。次の日、すっぱは、手下を3人連れてやってきて、二体ずつの地蔵に化けさせます。舞台の右と橋掛りとを右往左往するうちに全く違う滑稽な姿になり、化けの皮がはがれてしまいます。ユーモラスな姿ややり取りに会場は笑いに包まれました。
 新城薪能は、文化会館完成の1990年を機に始まりました。シテ方、ワキ方、囃子方、狂言方すべてが素人というのは、全国200か所ほどで行われている薪能ではほとんどないと言われます。
  

2024年08月15日

「奥三河の歴史遺産を守る会」設立記念講演会


 奥三河地域に埋もれている遺産を後世に伝えようと「奥三河の歴史遺産を守る会」(松下恒雄会長)が3月初め、新城市海老地区で発足しました。10日、設立記念講演会(東海日日新聞社など後援)が長篠の市民センターほうらいで開催されました。
 講師は、海老地区出身で会員の名古屋大学名誉教授・「新城ふるさと応援隊」応援大使代表の松下裕秀さん(69)で、「奥三河に残る歴史遺産を自然科学のレンズで眺める」の演目で出席した会員や市民約100人を前に講演しました。
 日本で最も古い棟札(むなふだ)は岩手県平泉町の中尊寺伝経蔵にある保安3(1122)年のものと言われています、しかし、海老神社に残る赤松神社の棟札(むなふだ)には承暦3(1079)年との記載があります。そこで、今年初め名古屋大学で年代測定が行われました。最も古いとの期待がありましたが調査の結果、承暦3年より新しい時代に書かれたことが確定しました。松下さんは「奥三河の歴史遺産を守っていくには、科学的根拠と論理性に裏付けされた事実を積み重ねて、できるだけ正しい歴史を次世代に伝えていかなければならない」と語りました。講演では、鳳来寺山東照宮の御宮殿や家康帯刀の名刀の伝承などの歴史的価値や海老神社、大野神社の調査結果などについても語られました。
 会は発足から半年足らずの間に、海老神社金的中額や大野神社棟札について調査しています。この日、海老神社金的中額の調査結果をまとめた設立記念誌「奥三河の歴史遺産を守る会調査報告書第1集」(A4版カラー34㌻)が参加者に配布されました。
  

2024年08月06日

きょうは「広島平和記念日」


 きょう8月6日は「広島平和記念日」です。
 1945(昭和20)年、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイ号が、広島市上空で原子爆弾「リトルボーイ」を投下。毎年この日に、広島市では原爆慰霊碑の前で平和記念式典が行われています。きょうも暑い中行われました。

  

Posted by ナツ at 13:57Comments(0)情報歴史3

2024年08月03日

県公文書館が榊原さんに感謝状


 設楽原歴史資料館で9月1日まで、新城市の郷土史家・故榊原淳一郎さんが収集し県公文書館(名古屋市中区)に寄贈した江戸時代の古文書などを展示した出張展示会が開かれています。1日、長男の榊原洋史さん(69)=的場=に県公文書館の小山厚子館長より感謝状が渡されました。
 淳一郎さんは、1926年にまれ72年47歳で亡くなりました。豊橋商業高校教師、愛知大学総合郷土研究所研究員として郷土史を研究しました。江戸時代に旧設楽郡西杉山村(現新城市杉山周辺)の庄屋・今泉家に伝わった検地帳や絵図などの古文書を収集しました。
 洋史さんは今年3月、県公文書館に1万2292点を寄贈しました。「父親の功績を後世に残すことができてよかった」と話します。父親の影響もあり、奄美歴史文化研究家として活動し、著書「奄美人入門」を出版しています。
 資料館無料スペースで開催中の展示会には、1829(文政12)年に西杉山村の庄屋が書き留めた御触書の記録、1604(慶長9)年に徳川家康の検地奉行・青木勘右衛門が調査・作成した三河国設楽郡杉山村検地帳(5冊のうち、市文化財指定の4冊)、1698(元禄11)年に幕府が下した裁許(さいきょ)(=判決)を記録した絵図「山論裁許絵図(さんろんさいきょえず)」などが写真パネルなどで紹介されています。
  

2024年08月02日

紫式部の生き方・背景を学ぶ


 「しんしろ文化財に親しむ会(小林常男会長)が7月31日、元高校教師の古市貞雄さん(86)=市内杉山在住=を講師に迎え「紫式部の生き方やその時代背景」をテーマに講演会を開きました。
 現在NHK大河ドラマ「光る君へ」が放映されていて、会員の紫式部や源氏物語への関心が高いことから、講演が企画されました、
 近世文学を専門とする古市さんは、教員退職後の63歳から、17年掛けて、全54帖、文字数約100万、登場人物500人余という大長編「源氏物語」を読み終えました。
 20人の会員を前に古市さんは、紫式部について語りました。漢字文化の中で、人間の複雑な心理、心を表現するには「かな」しかないとの信念があったこと、才能があり過ぎていじめに合う紫式部から千年経っても変わらない人間の心があること、食事、洗髪など宮中での大変な生活などについて述べました。「帚木(ははきぎ)」帖では、自分の恋の思いを短歌や楽器演奏で表現する男性の大変さ、女性の置かれている立場の辛さなどに触れました。
 古市さんは「貴族たちは今の私たちと変わらない心を持っていた。辛くたいへんな生活を思うと、今の自分たちは幸せだと思う」と話しました。最後に、紫式部を感じることができる越前市を訪れることを勧めました。
 2015年に発足した会は、月1回ほど、地域の文化財、歴史を中心に有識者による解説。現地見学や座学などを行っています。
  

2024年07月27日

愛知県公文書館の歴史資料出張展示


 新城市設楽原歴史資料館で20日~9月1日まで、愛知県公文書館が所有する新城市に関わる貴重な歴史資料を出張展示した「探検しよう!新城の江戸時代~地域の古文書「榊原淳一郎氏収集資料」の魅力紹介~」が開かれています。
 資料は、同市の郷土史家であった故榊原淳一郎氏が、江戸時代に旧設楽郡西杉山村(現新城市杉山周辺)の庄屋に伝わった古文書などを中心に収集した歴史的価値が高いもので、長男の榊原洋史氏が県公文書館に寄贈しました。
 展示資料は、1829(文政12)年に西杉山村の庄屋が書き留めた御触書の記録、1604(慶長9)年に徳川家康の検地奉行・青木勘右衛門が調査・作成した三河国設楽郡杉山村検地帳(5冊のうち、市文化財指定の4冊)、1698(元禄11)年に幕府が下した裁許(さいきょ)(=判決)を記録した絵図「山論裁許絵図(さんろんさいきょえず)」などで、写真パネルで紹介されています。
 湯浅大司館長は「これまで表に出ていなかった資料が展示公開されることで、江戸の千郷地域の様子が明らかになって行くと思う」と期待を述べました。
 展示は、同館入口横無料展示スペースで行われています。
【問い合わせ】 歴史資料館 ☎0536-22-0673
  

2024年07月07日

きょう「武田勝頼公と巡る設楽原古戦場」開催


 設楽原ボランティアガイドの会(竹内雅史代表)主催の「武田勝頼公と巡る設楽原古戦場」がきょう7日、設楽原歴史資料館と周辺で開かれ、会員含め20人の参加者が設楽原の戦いに思いを馳せました。
 熱い日差しが照りつける猛暑日だったため、探索コースは短めに設定されました。会員の柴田賢治郎さんが勝頼役として甲冑(かっちゅう)を身に着けて同行し、才の神(勝頼観戦地)、土屋昌次の墓、天王山(勝頼公指揮の地),資料館前の馬防柵などを回りました。それぞれの場所で、会員がていねいに解説し質問に答えていました。
 土屋昌次の墓では、梶村昌義さんが「石碑に土屋昌次の生き様などが篆書(てんしょ)で書かれている。書いたのは、徳川16代当主・徳川家達」との説明がされました。
 資料館では、信玄塚での火おんどりなどの説明があり、竹内代表らが火おんどりの数え歌などを披露しました。長篠合戦屏風については、長篠城址で小学生ボランティアガイドもする鳳来中部小6年の瀬野尾拓自さんが堂々と解説しました。双子の弟の瀬野尾航介さんは「ネットで知るより、ガイドの方に聞く方が説得力がある。自分もこの地の歴史を伝えていきたい」と話していました。
 参加者は、最後に馬防柵前で行われた長篠設楽原鉄砲隊の迫力ある火縄銃演武を堪能しました。
  

2024年06月25日

新城市誌資料集の第4編、 第5編発行・・・原田克幸さん


 新城市の鳳来郷土資料編纂室の原田克幸さんがこのほど、2022年発行の新城市誌資料集第4編「しんしろ長者めぐり(設楽郡編)」に続き、 第5編「しんしろ長者めぐり(八名郡編)」を発行しました。いずれもA4版カラー。
 設楽郡編は、203㌻。豊川右岸に明治時代まで存在した設楽郡の奈良時代から江戸時代長者伝説を文献資料や現地調査をもとに、仮説を立て考察した内容で、米福長者、稲木長者、旭長者、便福長者、持仏長者、大屋城長者についてまとめています。長者は金持ちというだけでなく、有力者、豪族、高職者など様々。市では戦国から江戸にかけての資料は多いものの、それ以前は少ない。同編では、古代から中世にかけての長者に目を向けています。
 今回の八名郡編は、109㌻。豊川左岸の古代の八名長者と中世の宇利長者について述べています。宇利氏は平安時代末期に判氏系図から突然消えており、不可解な事件後であったこと、その後たどり着いた先など、興味深い内容が原田さんの考察として述べられています。
 あとがきで、八名郷土史会の安形茂樹会長は「八名地区の歴史の空白部分を補う貴重な資料。今後の旧八名郡の郷土研究の発展に大いに寄与する」と期待を述べています。
 原田さんは「発行までの調査で、様々な場所に行くことができてよかった。楽しかった」と話します。現在伊那街道について調べているそうです。
 冊子は、新城市設楽原歴史資料館で販売しています。
・資料集第4編 1000円
・資料集第5編  800円。
【問い合わせ】 資料館 ☎0536-22-0673

  

Posted by ナツ at 01:48Comments(0)情報歴史3

2024年06月14日

旧制新城高等女学校の木造校舎見学はきょうまで・・・17日以降に解体 


 新城中学校(高橋正樹校長)の敷地内にある旧制新城高等女学校の木造校舎1棟が、老朽化のため17日以降に取り壊されます。中学校は名残を惜しむ人のために、きょう14日まで見学を受け付けています。
 約100年前の1923年に建てられた木造校舎には、当時裁縫や音楽の教室がありました。中学校が設立された47年には、校長室や職員室、特別教室として使われました。84年に現在の鉄筋コンクリートの校舎が完成し、役割を終えました。
 市教委が95年に、地域の歴史や伝統を継承する「新城まちなか博物館」に指定し商家や農家の民具などを展示してきましたが、2023年3月末の制度廃止により閉鎖されました。校舎の保存に費用がかかること、そのままにすれば危険であることなどの理由で、解体が決まりました。校舎に面した「心字池(しんじいけ)」と池のほとりに移築した茶室だけはそのままで、高女時代の面影を残します。
 13日、JA愛知東のやまびこ大学『学び塾』の参加者一行15人が講師の奥三河ふるさとガイドの高田孝典さん(74)とともに見学に訪れました。一行は1870(明治3)年に新城を中心として起きた百姓一揆「みのぎ騒動(伊那県騒動)」に関する史跡や墓を巡り、騒動とは関係ないですが、最後に騒動から50年後に建てられた校舎を見学しました。
 高橋校長が「校舎には良い材料が使われている。100年経っても雨漏りをしていない」と話すと、驚きの声が上がっていました。
 参加者の1人で中学卒業生の中島好和さん(70)は「校舎の掃除をしたのを覚えている。ガラスには『高女』の文字が刻まれていた」と懐かしがっていました。
 高田さんは「きょう来た皆さんは歴史の証人。高女があったことを語り部となって伝えてほしい」と話しました。
  

2024年06月13日

観来館で「のぼりまつりで着用する甲冑展」


 長篠合戦のぼりまつりの武者行列で着用する甲冑(かっちゅう)などを展示した甲冑展が1日から29日まで、新城市門谷の観来館(みにこんかん)で開催されています。
 ギャラリーには、江戸時代の本物の甲冑やレプリカ、手づくりの甲冑のほか、陣羽織やのぼりなど約30点が展示されています。紺糸威黒鎧二枚銅具足(丸に違い鷹紋入り)、赤色威武田信玄着用与鎧など、迫力ある甲冑をじっくりと眺め、甲冑のつくりを学ぶことができます。
 展示品はすべて、豊川市の林利一さん所蔵の林コレクションの一部。林さんは日本甲冑武具研究保存会東海支部顧問で、長篠設楽原鉄砲隊にも所属し、8日に市内設楽原で開催された決戦場まつりでは、式典での火縄銃での鎮魂礼射を隊長らと共に行いました。
【開催時間】午前10時から午後4時まで
        ※火曜日は休館。

  

2024年05月22日

JA愛知東文化講座で高田孝典さんが講演「〈回想〉百姓一揆“蓑着騒動”」


 JA愛知東主催の第109回文化講座がきのう21日、JA愛知東本店で開催され、「〈回想〉百姓一揆“蓑着騒動(みのぎそうどう)”」のテーマで奥三河ふるさとガイドの高田孝典さん(74)が講演しました。

 蓑着騒動は、新城を中心として設楽郡、八名郡、宝飯郡の3郡が伊那県管轄三河国足助出張所の治下にあった1870(明治3)年に、西杉山村の熱血漢・半田春平を中心に百姓2000人が立ち上がった百姓一揆。百姓らが、カマを手に稲藁などで編まれた蓑を身に着けていたことからこう呼ばれていて、記録上は「伊那県騒動」と呼ばれます。
 参加者75人を前に、高田さんは時代的背景を語るとともに、安政年間以後の3つの百姓騒動について述べました。
 その上で。蓑着騒動について語りました。百姓3000人が富永神社の「天王の森」などに集結し、旗頭の半田春平(39歳)と役所から交渉役を任された庭野村戸長・松井源次(42歳)との直接談判が行われました。松井が役所に百姓の言い分を伝えるが却下され、百姓の不満は松井に向き、百姓集団が松井宅を襲撃します。結局洋式の兵隊が鎮圧し、106人を逮捕しました。春平は3年後信州桔梗が原で服役中に獄死とされています。高田さんは、松井源太記述の「庚午騒擾記(こうごそうじょうき」をもとに松井宅での乱行などについても述べました。
 高田さんは「暴動を鎮圧したがわの記録はあるが、百姓側の記録は言い伝えしかない」とし「社会構造の中で農民がいかにしいたげられてきたか、春平だけではどうすることもできなかったことが想像できる」と語りました。
 1955年に東郷中学校で、2006年には千郷小学校で創作劇「みのぎ騒動」が上演されたことも紹介されました。千郷小で劇指導をした山下久夫先生も出席していては「先人たちの思いが少しでも伝えられればと、話を聞き必死に勉強した」と振り返り「18年経ってまた光を当てていただき、多くの方に知っていただく機会になってよかった」と話していました。

 富永神社には「蓑着騒動農民結集の地」㊤、杉山には「半田春平屋敷跡」㊦の石碑があります。
  

2024年05月07日

戦国の鉛争奪地「睦平鉱山」調査・・・有海の織田昌彦さん


 大量の火縄銃が使われた長篠・設楽原の戦いの決戦地・設楽原(新城市竹広)で出土した鉄砲玉20個のうち、5個が新城市睦平(むつだいら)の睦平鉱山産の鉛であることがわかっています。現在廃坑となっているこの鉱山を、有海の織田昌彦さん(82)が現地に足を運んで調べています。
 鉱山は標高461㍍の鉛山(かなやま)山頂近くにあり、昔は鉱山に向かう小径がありましたが、現在は消滅しています。そのため、鉱山に行くには10年前に作られ3年間使用後整備されていない作業道を歩き、途中から道のない斜面を進むしかありません。
 織田さんは、数少ない文献や調査報告などを調べるとともに、この地を4度調査してきました。
 設楽原の決戦4年前の1571年に記された家康の家臣に鉱山採鉱の権利を認める文書があり、織田・徳川軍の鉄砲玉の鉛に使われていたであろうことを裏付けています。八名郡誌(大正15年発行)には、採掘者を代えながら大正時代まで採掘が行われていた記録があります。新城市能登瀬出身で当時42才の藤城豊氏による昭和25年調査で、坑道が19か所発見されました。3箇所には10㍍ほどの坑道が残っていたそうです。現在はほとんどが埋まっています。
 坑道近くには鉱山の安全を願う「山ノ神」石祠(せきし)があり、碑文には「大正五年九月建立 静岡市札之辻町 岡部安治郎」とあります。岡部は最後の採掘者です。
 織田さんは「地元でも睦平鉱山のことを知る人はほとんどいない。今のうちに記録として残しておきたい」と話します。
 戦国期、鉄砲用の鉛の多くがタイや中国から輸入されていたと言われます。設楽原出土の鉛玉は約70%が日本産鉛と推定(平尾良光氏の報告)されていますが、日本のどこの鉱山の鉛かはわかっていませんでした。
 2020年、設楽原をまもる会名誉会長の小林芳春先生が、日鉄住金テクノロジー解析技術部分析技術室に鉛同位体比測定を依頼。翌年、睦平鉱山産の鉛が使われたものがあったことがわかりました。
 詳しくは、小林先生著『長篠・設楽原の戦い』鉄炮玉の謎を解く」(黎明書房)をご覧ください。

  

2024年05月01日

武田勝頼公を通した新城市と甲州市との交流②・・・「ふるさと武田勝頼公まつり」

  
 28日「ふるさと武田勝頼公まつり」は、甲州市大和町の旧大和中学校グラウンドを会場に行われました。勝頼公を中心とする武者行列や演武、小学生による天目山勝頼公太鼓などを見学しました。式典では壇上に甲州市の鈴木市長らとともに今月の総会で就任した内藤新会長が登壇し、会との関わりとともに紹介されました。
 会場の一角には、大和おもてなし倶楽部(野澤和雄代表)が特別企画展「武田家の聖地」を実施。長篠・設楽原の戦いの資料や写真が展示され、野澤代表とともに、新城出身で甲州市老人クラブ会長の澤田正志さんも案内役を務めていた。
 鈴木市長は、正副議長の時設楽原を訪れているそうです。「信玄塚で長く慰霊していただいていることに心から感謝している。今後も交流を続けていきたい」と話していました。
  

2024年04月30日

武田勝頼公を通した新城市と甲州市との交流①・・・勝頼の菩提樹「景徳院」  


 地域にある戦国時代の史跡保護と歴史的価値の発信を続ける新城市の設楽原をまもる会(内藤彰会長)の会員らが28日、武田家終焉の地である山梨県甲州市大和町の旧大和中学校グラウンドで開催された「ふるさと武田勝頼公まつり」に参加し、鈴木幹夫市長や市民らと交流しました。
 内藤会長35人が、大和町の勝頼の菩提寺・景徳院の法要に参列し、手を合わせました。法要後、勝頼公、その妻・北条夫人、湖衣姫、信勝公らにふんした皆さんが整列し「勝頼公軍団の出陣の儀」が開かれました。大和地域の女子生徒らの巫女なども参加。この後、旧大和中学校で勇壮な出陣絵巻を繰り広げました。



  

2024年04月23日

鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日


 「長篠・設楽原の戦い」(1575年)の口火となった長篠城攻防戦で名を残した鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の450回忌法要が21日、墓のある有海の新昌寺(岡村将志住職)で営まれました。回忌法要は50年ごとに行われています。
 鳥居閣の額が納められた本堂と本堂前で行われた「鳥居祭」の後、強右衛門の墓を前に法要が行われ、岡村住職の読経が響く中、参列者らが順に手を合わせました。
 岡村住職は「昨年6月のNHK大河ドラマで強右衛門が登場して以後、多くの人が磔(はりつけ)の場所や墓を訪れている。強右衛門も喜んでいると思う」と話しました。
 参列者の中に、5月5日の長篠合戦のぼりまつり武者行列で強右衛門役を務める富岡の垣内田智子さんの姿もありました。「強右衛門役に決まり、うれしさとともに、恥ずかしさもある。当日を思うと身が引き締まる」と語りました。垣内田さんは山県昌景役の経験もあり、今回は娘さんとともに参加します。
 強右衛門は長篠城主・奥平貞昌の家臣で、武田勝頼軍に包囲された長篠城から、織田信長・徳川家康に援軍を要請する使者とし派遣されました、任務を果たした帰りに武田軍に捕らえられました。武田軍の命令に反し「援軍は来るぞ」と味方に大声で伝え磔にされました。亡きがらは胴体が新昌寺、頭部は作手鴨ケ谷の甘泉時寺に埋葬されたと伝わります。
 強右衛門の墓は、住民らが1762(宝暦12)年に創建しました。墓碑には命日の転生3年5月16日と戒名「智海常通居士」、俗名「鳥居強右衛門勝商」が記されています。創建後260年余り、慰霊の「鳥居祭」が住民らにより毎年開催されています。
  

2024年04月18日

しんしろ戦国絵巻三部作


★第 59 回長篠合戦のぼりまつり
 戦没者慰霊法要、火縄銃演武、合戦行列、和太鼓演舞、具足弓演武、観光物産展、鳥居強右衛門戦国街道ランを行います。
【日時】 5月5日㈰ 午前9時 30分~
【場所】 長篠城址
【その他】 当日は長篠城址周辺道路で一部交通規制を行います。会場周辺には駐車場がありません。 特設駐車場(ふれあいパークほうらい)からの無料シャトルバスや公共交通機関をご利用ください。
【問い合わせ】 新城市観光協会 ℡29ー0829

★作手古城まつり
 火縄銃演武、和太鼓演舞などを行います。
【日時】 5月12日㈰ 午前9時 30分~
【場所】 亀山城址、 つくで手作り村芝生広場
【問い合わせ】 観光課 ℡23ー7613

★設楽原決戦場まつり
 戦没者慰霊法要、武者行列、火縄銃演武、和太鼓・ほら貝演舞などを行います。
【日時】 6月8日㈯ 午前9時 30分~
【場所】 信玄塚、設楽原歴史資料館、馬防柵周辺
【問い合わせ】 設楽原歴史資料館 ℡22ー0673
  

2024年04月05日

海老地区で「奥三河の歴史遺産を守る会」発足


 奥三河地域に埋もれている遺産を後世に伝えようと「奥三河の歴史遺産を守る会」(松下恒雄会長)が3月初め、新城市海老地区で発足しました。初めての調査活動が3日、海老神社で行われました。
 この日は、会員7人が本堂でお祭り弓の金的中額を整理し、年代順に並べ写真撮影しデータ化する作業を行いました。
 お祭り弓は五穀豊穣、無病息災を願う神事で、金的を悪霊や災いに見立てそれを射止めることで厄を払うというもの。金的中額は木製で、的中者名などを記入し祭りのたびに飾られます。
 調査の結果、現在神社に保存されている金的中額は年代がわかるものだけで48点。1975年以降はすべて残っていますが、それ以前は残っていない年も多いそうです。年代がわかる最古のものは1829(文政12)年で額の一部が残っています。
 調査結果は今後小冊子にまとめるとともに、今後ホームページやSNSで公表していくそうです。
 会は、海老地区在住で海老神社宮司の松下さん(71)が郷土に関心のある地元ゆかりの人に声をかけ結成されました。埋もれていた遺産に光を当てたいとし、今後大野神社の棟札調査、能登瀬鹿討神事・名越神楽見学などを予定しています。
 海老出身の名古屋大学名誉教授・「新城ふるさと応援隊」応援大使代表の松下裕秀さん(69)も会員となりました。「貴重な文化財が朽ち果てていくのは残念。若い人にも呼びかけ文化の継承を進めていきたい」と話します。
  

Posted by ナツ at 16:11Comments(0)情報歴史3