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2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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2024年08月03日

県公文書館が榊原さんに感謝状

県公文書館が榊原さんに感謝状県公文書館が榊原さんに感謝状

 設楽原歴史資料館で9月1日まで、新城市の郷土史家・故榊原淳一郎さんが収集し県公文書館(名古屋市中区)に寄贈した江戸時代の古文書などを展示した出張展示会が開かれています。1日、長男の榊原洋史さん(69)=的場=に県公文書館の小山厚子館長より感謝状が渡されました。
 淳一郎さんは、1926年にまれ72年47歳で亡くなりました。豊橋商業高校教師、愛知大学総合郷土研究所研究員として郷土史を研究しました。江戸時代に旧設楽郡西杉山村(現新城市杉山周辺)の庄屋・今泉家に伝わった検地帳や絵図などの古文書を収集しました。
 洋史さんは今年3月、県公文書館に1万2292点を寄贈しました。「父親の功績を後世に残すことができてよかった」と話します。父親の影響もあり、奄美歴史文化研究家として活動し、著書「奄美人入門」を出版しています。
 資料館無料スペースで開催中の展示会には、1829(文政12)年に西杉山村の庄屋が書き留めた御触書の記録、1604(慶長9)年に徳川家康の検地奉行・青木勘右衛門が調査・作成した三河国設楽郡杉山村検地帳(5冊のうち、市文化財指定の4冊)、1698(元禄11)年に幕府が下した裁許(さいきょ)(=判決)を記録した絵図「山論裁許絵図(さんろんさいきょえず)」などが写真パネルなどで紹介されています。
県公文書館が榊原さんに感謝状県公文書館が榊原さんに感謝状

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