新城・勝手に応援隊 › 歴史1(設楽原・長篠)
2024年04月23日
鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日
「長篠・設楽原の戦い」(1575年)の口火となった長篠城攻防戦で名を残した鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の450回忌法要が21日、墓のある有海の新昌寺(岡村将志住職)で営まれました。回忌法要は50年ごとに行われています。
鳥居閣の額が納められた本堂と本堂前で行われた「鳥居祭」の後、強右衛門の墓を前に法要が行われ、岡村住職の読経が響く中、参列者らが順に手を合わせました。
岡村住職は「昨年6月のNHK大河ドラマで強右衛門が登場して以後、多くの人が磔(はりつけ)の場所や墓を訪れている。強右衛門も喜んでいると思う」と話しました。
参列者の中に、5月5日の長篠合戦のぼりまつり武者行列で強右衛門役を務める富岡の垣内田智子さんの姿もありました。「強右衛門役に決まり、うれしさとともに、恥ずかしさもある。当日を思うと身が引き締まる」と語りました。垣内田さんは山県昌景役の経験もあり、今回は娘さんとともに参加します。
強右衛門は長篠城主・奥平貞昌の家臣で、武田勝頼軍に包囲された長篠城から、織田信長・徳川家康に援軍を要請する使者とし派遣されました、任務を果たした帰りに武田軍に捕らえられました。武田軍の命令に反し「援軍は来るぞ」と味方に大声で伝え磔にされました。亡きがらは胴体が新昌寺、頭部は作手鴨ケ谷の甘泉時寺に埋葬されたと伝わります。
強右衛門の墓は、住民らが1762(宝暦12)年に創建しました。墓碑には命日の転生3年5月16日と戒名「智海常通居士」、俗名「鳥居強右衛門勝商」が記されています。創建後260年余り、慰霊の「鳥居祭」が住民らにより毎年開催されています。
2024年04月20日
愛知県退職公務員連盟新城支部の総会
愛知県退職公務員連盟新城支部(昨年度会員数276人)が18日、2024年度総会を新城文化会館で開催しました。森卓久支部長が退き、新支部長に鳥居孝さんが就任しました。
総会には、理事会員と役員、来賓ら約50人が出席し、役員改選、事業内容、決算・予算などが承認されました。
鳥居支部長は「皆様のご協力を得ながら、責務を果たしていきたい」と決意を述べました。
来賓で出席した県退職公務員連盟の藤田興治副会長(豊橋市退公連支部長)は、高齢者支援の課題や年金運用積立金還元の必要性を述べるとともに「行動し、高齢者を大事にする組織でありたい」とあいさつしました。
総会では、白寿、卒寿などの会員の長寿を祝い、支部業務10年の会員に感謝状を贈りました。
本年度の事業として、ささゆりウオーキング、裂き織り体験などを実施することを確認しました。
2024年04月18日
しんしろ戦国絵巻三部作
★第 59 回長篠合戦のぼりまつり
戦没者慰霊法要、火縄銃演武、合戦行列、和太鼓演舞、具足弓演武、観光物産展、鳥居強右衛門戦国街道ランを行います。
【日時】 5月5日㈰ 午前9時 30分~
【場所】 長篠城址
【その他】 当日は長篠城址周辺道路で一部交通規制を行います。会場周辺には駐車場がありません。 特設駐車場(ふれあいパークほうらい)からの無料シャトルバスや公共交通機関をご利用ください。
【問い合わせ】 新城市観光協会 ℡29ー0829
★作手古城まつり
火縄銃演武、和太鼓演舞などを行います。
【日時】 5月12日㈰ 午前9時 30分~
【場所】 亀山城址、 つくで手作り村芝生広場
【問い合わせ】 観光課 ℡23ー7613
★設楽原決戦場まつり
戦没者慰霊法要、武者行列、火縄銃演武、和太鼓・ほら貝演舞などを行います。
【日時】 6月8日㈯ 午前9時 30分~
【場所】 信玄塚、設楽原歴史資料館、馬防柵周辺
【問い合わせ】 設楽原歴史資料館 ℡22ー0673
2024年04月16日
「設楽原をまもる会総会」・・・新会長に内藤彰さん
「設楽原をまもる会総会」が14日、新城市設楽原歴史資料館で開催されました。会長が今泉研吾さんから内藤彰さんにバトンタッチされました。
総会で、退任する今泉会長が決戦場まつりを中心に、地元小中学生、全国鉄砲隊の参加、開催日・内容変更、解説書「設楽原ウォーク」、40周年記念誌発行などについて振り返り「10年間会長を務めることができたのは皆様方のおかげ」と感謝しました。内藤新会長は「今後とも皆様のご協力をお願いします」とあいさつしました。
総会では、役員改選のほか、事業内容、決算・予算などは承認されました。決戦場まつりの6月8日開催も確認されました。
総会後の講演会では、元長篠・設楽原鉄砲隊隊長の宮部直司さんが1991年の隊結成からの経緯や決戦場まつりでの初演武、鉄砲の聖地・設楽原での全国15の鉄砲隊演武、甲冑(かっちゅう)を身に着けての演武の大変さなどを語りました。火縄銃の撃ち方、連続撃ちなども具体的に説明し、参加者らは興味深く説明に聞き入っていました。
宮部さんは最後に「鉄砲隊は、火縄銃を通して皆様方古戦場を守っていきます」と締めくくりました。
まもる会は、1575年の長篠・設楽原の戦いの舞台となった設楽原周辺の史跡研究や馬防柵などの整備、決戦場まつり開催などを行っており、1980年発足から44年目を迎えました。現在会員数は約300人。
総会では、役員改選のほか、事業内容、決算・予算などは承認されました。決戦場まつりの6月8日開催も確認されました。
総会後の講演会では、元長篠・設楽原鉄砲隊隊長の宮部直司さんが1991年の隊結成からの経緯や決戦場まつりでの初演武、鉄砲の聖地・設楽原での全国15の鉄砲隊演武、甲冑(かっちゅう)を身に着けての演武の大変さなどを語りました。火縄銃の撃ち方、連続撃ちなども具体的に説明し、参加者らは興味深く説明に聞き入っていました。
宮部さんは最後に「鉄砲隊は、火縄銃を通して皆様方古戦場を守っていきます」と締めくくりました。
まもる会は、1575年の長篠・設楽原の戦いの舞台となった設楽原周辺の史跡研究や馬防柵などの整備、決戦場まつり開催などを行っており、1980年発足から44年目を迎えました。現在会員数は約300人。
2023年12月20日
関東の古書店で長篠城絵図発見される
「関東の古書店で長篠城絵図発見」の記事がけさ、東日新聞に載っていました。
【東日新聞 けさ20日の記事】
豊橋市図書館は19日、新城市にあった長篠城について江戸時代に地元の文化人らが研究した「分検長篠城之図」が見つかったと発表した。織田信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼軍を破った「長篠の戦い」に当時から大きな関心が寄せられていたことがうかがえるという。20~27日まで市中央図書館(羽根井町)に展示する。
絵図は縦53センチ、横65・5センチ。市図書館の母体となった私設文庫「羽田八幡宮文庫」を創設した羽田八幡宮神主で国学者の羽田野敬雄(たかお)と、息子の茂雄が1864年に作ったものだという。同文庫が閉鎖された明治時代末ごろに流出し、所在不明になっていた。
関東地方の古書店に絵図があると研究者から情報提供があり、同館が蔵書印から本物と確認し入手した。
同館によると、絵図は羽田野親子より60年前に御津(現豊川市)の廻船問屋、渡辺統虎(とうこ)と赤坂宿本陣(同)の主だった政池(まさいけ)彦作が、長篠の戦いから約200年後に城跡を測量して作成した絵図をもとにしている。城郭図のほかに、長篠の戦いについて研究した内容が記述されているという。
同館の岩瀬彰利副館長は「鉄砲が使われ、織田・徳川連合軍が勝利した長篠の戦いを江戸時代の東三河の文化人も歴史の転換点と認識し、高い関心を持っていた」と指摘する。
【堅固の城 長篠城】
長篠城は宇連川(大野川)と豊川(寒狭川・滝川)が合流する地点に築城されており、南・西の二方向を急峻な崖に守られた「後堅固の城」となっています。その一方、平坦地である北・東側には曲輪や土塁・堀を複数配置しており、防御力を向上させていることがわかります。土塁と内堀 長篠城主郭の北東部には巨大な土塁と堀が残されています。土塁 は高さ約5m、長さ約80m に及び、横矢掛りを意識した屈曲がみられ ます。土塁に沿って幅10~15m、深さ約6m の堀が残存し、いずれも武田氏の侵攻に備え徳川氏により改修されたと推定されています。
【長篠城の歴史】
〈築城~今川時代〉
長篠城は永正5年(1508)、駿河・遠江を支配し、三河にも進出していた戦国大名・今川氏の城として、国人である菅沼元成が築城したと伝えられ、代々菅沼氏の居城となっていたとされます。永禄3年(1560)、今川義元が 桶狭間の戦いで討死すると、今川支配下の三河は動揺し、その間隙をついて松平元康(徳川家康)が台頭しました。家康は長篠城を包囲攻撃し、今川氏側も兵糧を長篠城に入れるなど応戦したものの落城、城は家康の手 に落ちました。
【徳川と武田による争奪戦】
長篠城攻略後、家康は三河・遠江の平定を進め、永禄12年(1569)、今川氏真を遠江掛川城で降伏に追い込み、今川氏を滅亡させました。しかし、甲斐・信濃を支配しており、今川領であった駿河を攻略した戦国大名・武田信玄との関係は悪化していきました。信玄は家康領内の国人の切り崩しを行い、その結果長篠城は信玄に味方することとなりました。その後信玄は家康領へ侵攻し、三方原の戦いで家康を破ると、野田城(愛知県新城市)を開城させるなど三河攻略を進めましたが、体調を崩し長篠城で療養ののち甲斐へ撤退を開始し、その道中で死去しました。 信玄の死去により家康は失地回復を企図し、長篠城を攻撃しました。信玄の後継者となった武田勝頼は配下の諸将に救援を指示したものの、火矢を用いた家康の激しい攻撃により長篠城は降伏開城、城には武田軍に従い退去した菅沼氏にかわって、家康配下の城番が配置されました。
〈「長篠・設楽原の戦い」と長篠城〉
天正3年(1575)、家康は三河国人である奥平信昌を長篠城主に任じるとともに、破損していた城の修復を行い、兵糧を入れ置くなど、勝頼の侵攻に備えていました
同年5月、三河へ侵攻した勝頼は15,000の兵を率い 長篠城近くの医王寺山に本陣を構え、向城として城の対岸に砦を築いて厳重に城を包囲しました。武田軍は野牛曲輪、弾正曲輪、瓢曲輪などを次々に攻撃し、500の城兵は鉄砲で応戦するなど果敢に抵抗しましたが、寡兵のため落城は免れないとし、鳥居強右衛門を家康のもとへ派遣し、援軍を要請しました。
強右衛門は、鈴木金七郎とともに使者の役目を果たし、家康と織田信長の援軍は長篠付近の設楽原に布陣しました。勝頼は城の包囲を解き、設楽原で織田・徳川連合軍との決戦に及びますが、多くの将兵を失う大敗を喫し、撤退ていきました。
長篠城は落城の危機を免れ、城主の奥平信昌は信長や家康から激賞され、名を上げました。 長篠城は戦い後、16世紀後半~末期にかけて廃城になったと考えられており、城の建物の一部は新城城や 吉田城に流用されたといわれています。
【東日新聞 けさ20日の記事】
豊橋市図書館は19日、新城市にあった長篠城について江戸時代に地元の文化人らが研究した「分検長篠城之図」が見つかったと発表した。織田信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼軍を破った「長篠の戦い」に当時から大きな関心が寄せられていたことがうかがえるという。20~27日まで市中央図書館(羽根井町)に展示する。
絵図は縦53センチ、横65・5センチ。市図書館の母体となった私設文庫「羽田八幡宮文庫」を創設した羽田八幡宮神主で国学者の羽田野敬雄(たかお)と、息子の茂雄が1864年に作ったものだという。同文庫が閉鎖された明治時代末ごろに流出し、所在不明になっていた。
関東地方の古書店に絵図があると研究者から情報提供があり、同館が蔵書印から本物と確認し入手した。
同館によると、絵図は羽田野親子より60年前に御津(現豊川市)の廻船問屋、渡辺統虎(とうこ)と赤坂宿本陣(同)の主だった政池(まさいけ)彦作が、長篠の戦いから約200年後に城跡を測量して作成した絵図をもとにしている。城郭図のほかに、長篠の戦いについて研究した内容が記述されているという。
同館の岩瀬彰利副館長は「鉄砲が使われ、織田・徳川連合軍が勝利した長篠の戦いを江戸時代の東三河の文化人も歴史の転換点と認識し、高い関心を持っていた」と指摘する。
【堅固の城 長篠城】
長篠城は宇連川(大野川)と豊川(寒狭川・滝川)が合流する地点に築城されており、南・西の二方向を急峻な崖に守られた「後堅固の城」となっています。その一方、平坦地である北・東側には曲輪や土塁・堀を複数配置しており、防御力を向上させていることがわかります。土塁と内堀 長篠城主郭の北東部には巨大な土塁と堀が残されています。土塁 は高さ約5m、長さ約80m に及び、横矢掛りを意識した屈曲がみられ ます。土塁に沿って幅10~15m、深さ約6m の堀が残存し、いずれも武田氏の侵攻に備え徳川氏により改修されたと推定されています。
【長篠城の歴史】
〈築城~今川時代〉
長篠城は永正5年(1508)、駿河・遠江を支配し、三河にも進出していた戦国大名・今川氏の城として、国人である菅沼元成が築城したと伝えられ、代々菅沼氏の居城となっていたとされます。永禄3年(1560)、今川義元が 桶狭間の戦いで討死すると、今川支配下の三河は動揺し、その間隙をついて松平元康(徳川家康)が台頭しました。家康は長篠城を包囲攻撃し、今川氏側も兵糧を長篠城に入れるなど応戦したものの落城、城は家康の手 に落ちました。
【徳川と武田による争奪戦】
長篠城攻略後、家康は三河・遠江の平定を進め、永禄12年(1569)、今川氏真を遠江掛川城で降伏に追い込み、今川氏を滅亡させました。しかし、甲斐・信濃を支配しており、今川領であった駿河を攻略した戦国大名・武田信玄との関係は悪化していきました。信玄は家康領内の国人の切り崩しを行い、その結果長篠城は信玄に味方することとなりました。その後信玄は家康領へ侵攻し、三方原の戦いで家康を破ると、野田城(愛知県新城市)を開城させるなど三河攻略を進めましたが、体調を崩し長篠城で療養ののち甲斐へ撤退を開始し、その道中で死去しました。 信玄の死去により家康は失地回復を企図し、長篠城を攻撃しました。信玄の後継者となった武田勝頼は配下の諸将に救援を指示したものの、火矢を用いた家康の激しい攻撃により長篠城は降伏開城、城には武田軍に従い退去した菅沼氏にかわって、家康配下の城番が配置されました。
〈「長篠・設楽原の戦い」と長篠城〉
天正3年(1575)、家康は三河国人である奥平信昌を長篠城主に任じるとともに、破損していた城の修復を行い、兵糧を入れ置くなど、勝頼の侵攻に備えていました
同年5月、三河へ侵攻した勝頼は15,000の兵を率い 長篠城近くの医王寺山に本陣を構え、向城として城の対岸に砦を築いて厳重に城を包囲しました。武田軍は野牛曲輪、弾正曲輪、瓢曲輪などを次々に攻撃し、500の城兵は鉄砲で応戦するなど果敢に抵抗しましたが、寡兵のため落城は免れないとし、鳥居強右衛門を家康のもとへ派遣し、援軍を要請しました。
強右衛門は、鈴木金七郎とともに使者の役目を果たし、家康と織田信長の援軍は長篠付近の設楽原に布陣しました。勝頼は城の包囲を解き、設楽原で織田・徳川連合軍との決戦に及びますが、多くの将兵を失う大敗を喫し、撤退ていきました。
長篠城は落城の危機を免れ、城主の奥平信昌は信長や家康から激賞され、名を上げました。 長篠城は戦い後、16世紀後半~末期にかけて廃城になったと考えられており、城の建物の一部は新城城や 吉田城に流用されたといわれています。
2023年10月11日
実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」発行
新城郷土研究会会員の髙木松生さん(79)=同市稲木在住=がこのほど、1575(天正3)年5月の長篠・設楽原の戦いに破れた武田勝頼の武節城(豊田市)までの敗走路を実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」を発行しました。
わずかな直臣と田峯城主の菅沼定忠に伴われて敗走した勝頼一行は、すでに敗報の伝わっていた田峯城に入れず、山中の鷹小屋に一晩隠れ、翌日夕方武節城に辿り着いたとされています。具体的な勝頼の敗走路については、はっきりしていない点も多いです。
髙木さんは「自分の最後の仕事として、敗走路を歩いて確かめたい」と、2018年11月から23年1月までの4年2か月で、165日を使って実際に歩き、写真に収め聞き取りを繰り返し、地図に落としました。約70㌔、30時間足らずの敗走路は、多くが山道で、草木が生い茂り、道のない場所もあり、迷ったり、戻ったりを繰り返した。同じ場所に7回も行って調べたこともあったそうです。
冊子はA5版、36㌻。敗走路の状況がわかりやすいようにカラー写真を130枚以上載せ、巻末に高木さんが考える敗走路の地図2枚が綴じ込まれています。表紙の写真は、古道を歩く甲冑(かっちゅう)姿の高木さん。
「実際に敗走路を歩くと、勝頼の心境を思い哀れさを感じる。この地域には武田家ゆかりの方も多いことから、タイトルには『敗走』ではなく『退却』と配慮させてもらった」と話します。
冊子は、2200円(税込)。精文館、豊川堂などの書店、設楽原歴史資料館、長篠城址史跡保存館、道の駅「したら」ほかで販売しています。
2023年09月21日
彼岸入りし、彼岸花が一斉に咲き始める
20日の「彼岸の入り」を待っていたかのように彼岸花(曼珠沙華)が、奥三河のあぜ道、土手など至るところに一斉に咲き始め、山里や田園を赤く染めています。
新城市大宮の設楽原古戦場では、稲刈り前の田園のあぜなどに、多くの花を見ることができます。新東名、馬防柵をバックに咲く景色は、季 節とともに時の流れも感じさせます。
彼岸花の球根は地下の「栄養貯蔵庫」で有毒。食べると、吐き気や下痢を起こし、死に至ることもあるといいます。ただ、長い時間水にひたせば無害にすることができるため、飢饉や戦争中など、非常時食用になったこともあります。
水田に多く見られる彼岸花。モグラやミミズが嫌う有毒植物であるため、田畑を荒らされないため植えられたとも言われます。
2023年07月22日
第3回公開講座「歴史の魅力再発見」開催
奥三河観光協議会主催の第3回の公開講座「歴史の魅力再発見」が20日、新城市設楽原歴史資料館で開催され、「あいち観光ボランティアガイドの会」会長の高田孝典さんが長篠設楽原の戦いと古戦場を活かした観光について語りました。
長篠・設楽原の戦いについては、プロローグとして、長篠城を巡る信長、家康、勝頼の心境や思惑について様々な視点から解説しました。清洲同盟を結んだ信長と家康が最も険悪な時の戦いで、それぞれの思惑があること、戦い前夜の手紙からも思いが想像できることなどが述べられました。勝頼については、その身の上などから、父の信玄ができなかったことをやるしかなかったことなどが語られました。
本編の決戦は、どちらが勝つかわからない状況だったとし、3者の思いや背景に迫りました。
エピローグでは450年信玄塚で続けられてきた両軍の死者を慰霊する火おんどりと地元の思いを語りました。
最後に、「古戦場をこれからのまちづくり観光にいかに活かすか」について、景観の「見える化」促進、JR飯田線とのタイアップ、生涯学習との連携、アウトドアスポーツなど他の観光資源とのコラボなどを提案しました。
高田さんは「新しい視点から歴史を見ることが大切」と話しました。
この日の参加者は56人。高田さんの話に真剣に耳を傾け、この戦いや今後の古戦場の姿に思いを馳せていました。
第4回の講座は8月17日(木)13時30分から、茶臼山高原のレストラン「やはず」で開かれます。
【問い合わせ・参加申し込み】
奥三河観光協議会 ☎0536-29―9393
2023年07月10日
設楽原歴史資料館で「鉄炮祭」開催
NHK大河ドラマ「どうする家康」の放映などによりにぎわう設楽原歴史資料館で9日、「鉄炮祭(てっぽうまつり)」(市・市教育委員会主催)が開催されました。
会場では、物産展が開かれ、食品や土産物が販売され、ホラ貝を吹く体験コーナーやボランティアガイドの説明を受けるコーナーなどが設けられました。
長篠・設楽原鉄砲隊による演武も午前午後の2回行われ、観衆らは迫力満点の火縄銃のごう音を間近で聞いて歓声を上げていました。
人気の高かったチャンバラ合戦は、雨が心配されたため、近くの東郷中学校体育館で行われました。県内から集まった80人が、赤の武田軍と黄の徳川軍に分かれ、柔らかい刃渡り50㌢の刀を持って戦いました。左肩につけた相手のボールを叩き落とすと勝ち。大人も子どもも汗びっしょりになって駆け回っていました。
豊川市御油の山本幸司さん(41)陽己君(5)親子は「初めてやったがすごく楽しかった。またやりに来たい」と笑顔でした。
「鉄炮祭」は、毎年開かれてきた「資料館まつり」の名称を資料館の象徴でもある火縄銃にちなみ変更した祭り。江戸時代、「砲」は大砲を表し、火縄銃は「炮」を用いたことから。あえて「炮」の文字を使っています。
2023年07月06日
設楽原歴史資料館で【鉄炮祭】開催
設楽原歴史資料館で9日、「鉄炮祭(てっぽうまつり)」(新城市・市教育委員会主催)が開催されます。毎年開かれてきた「資料館まつり」の名称を同館の象徴でもある火縄銃にちなみ変更しました。
「鉄炮祭」では、あえて「炮」の文字を利用しています。これは江戸時代、「砲」は大砲を表し、火縄銃は「炮」を用いていたことからです。
【開催】 7月9日(日) 9:00~15:00
【会場】 新城市設楽原歴史資料館
【日程】
10:00~ 物産展・キッチンカー
10:00~ 長篠・設楽原鉄砲隊砲術演舞
10:30~ チャンバラ合戦(信玄塚)
事前募集・・・100名(申込先着順)
※5歳以上小学6年まで
12:30~ 長篠・設楽原鉄砲隊砲術演舞
13:00~ ぷよぷよeスポーツ合戦(研修室)
当日受付・・・6名(当日抽選)
※小学生対象
※観覧人数30名
本年度資料館周辺は、NHK 大河ドラマ【どうする家康】の放映などにより、大いににぎわっており、この日も多くの来場者が予想されます。駐車場は、資料館北の東郷中こども園裏の広い天王山駐車場などです。
2023年06月04日
第34回設楽原決戦場まつり開催
設楽原をまもる会主催の34回設楽原決戦場まつりがきのう3日、新城市竹広の信玄塚と同市大宮の馬防柵周辺で開かれ、1575(天正3)年の長篠・設楽原の戦いで戦死した1万6000人余の将兵の霊を弔いました。
コロナ禍のため2020年から戦没者慰霊法要のみ行われてきましたが、今回は4年ぶりに武者行列と馬防柵演武、火縄銃演武も行われました。ただ、地元小中学校児童、生徒による演武や踊りは行われませんでした。
信玄塚で行われた戦没者慰霊式には、100人ほどが参列し、戦没者の御霊に手を合わせました。この日バス3台で甲州市から訪れる予定だった武田家ゆかりの方々の参列は、前日の台風による被害や通行止めにより中止となりました。
続いて行われた武者行列には甲冑(かっちゅう)を身につけた鉄砲隊ら30人が参加し、設楽原歴史資料館から馬防柵までの400㍍を行進しました。その中には「歴史が好きだ」と自ら応募した東郷小学校の6年児童6人もいて、甲冑をつけ旗を持って堂々と歩きました。
請井佑宇さんは「甲冑は重く、旗を持って歩くのはきつかった」と話しながらも笑顔でした。前崎結菜さんは「暑かったし、重かった。長く歩いた昔の人はたいへんだったと思う」と話しました。
請井佑宇さんは「甲冑は重く、旗を持って歩くのはきつかった」と話しながらも笑顔でした。前崎結菜さんは「暑かったし、重かった。長く歩いた昔の人はたいへんだったと思う」と話しました。
最後に、ホラ貝、川路覇城太鼓の演奏後、地元長篠・設楽原鉄砲隊による火縄銃演武があり、観客は迫力ある演武や火縄銃のごう音を堪能しました。
今泉研吾会長は「形を変えて初めて実施したが、天気もよく無事終えられてよかった。2年後の決戦から450年の開催に向け、準備を進めたい」と話しました。
2023年06月03日
3日(土)~4日(日)の予定・・・設楽原決戦場まつり、ひがしかどやうめがりなど
大変な大雨でした。避難された方も結構みえたようです。
豊川は大水。桜淵公園の加藤ボートの1階が浸水。豊島の堤防沿いは危険水域に。
★3日(土) やなマルシェ
8:00~10:00 旧Aコープ八名店
★3日(土) 設楽原決戦場まつり
10:00 法要
11:00 馬防柵演武・火縄銃演武
★3日(土) 共育講座「自然観察会
9:00~12:00 青年の家
★3日(土) コノハズクの声を聞く会
鳳来寺山自然科学博物館
★4日(日) JA愛知東「こども農学校」
8:00~15:30 設楽町専念の森
★4日(日) 笠網漁安全祈願祭
鮎滝 ※役員のみで
★4日(日) ひがしかどやのうめがり
10:00~12:00 東門谷
※3日の予定でしたが、この日に延期されました。
★4日(日) 朗読ワークショップ
13:30 ちさと館
★4日(日) NHK大河ドラマ
「どうする家康 長篠を救え」 20:00放映
★1日(木)~30日(金) めざせ明日のまちづくり」事業パネル展
新城市役所本庁舎1階の情報カフェ
★1日(月)~31日(水) 「2人の写真展」
10:00~16:00 門谷「観来館」
※火曜日休館
★1月27日(金)~7月16日(日)
しんしろ~家康紀行~
設楽原歴史資料館
豊川は大水。桜淵公園の加藤ボートの1階が浸水。豊島の堤防沿いは危険水域に。
★3日(土) やなマルシェ
8:00~10:00 旧Aコープ八名店
★3日(土) 設楽原決戦場まつり
10:00 法要
11:00 馬防柵演武・火縄銃演武
★3日(土) 共育講座「自然観察会
9:00~12:00 青年の家
★3日(土) コノハズクの声を聞く会
鳳来寺山自然科学博物館
★4日(日) JA愛知東「こども農学校」
8:00~15:30 設楽町専念の森
★4日(日) 笠網漁安全祈願祭
鮎滝 ※役員のみで
★4日(日) ひがしかどやのうめがり
10:00~12:00 東門谷
※3日の予定でしたが、この日に延期されました。
★4日(日) 朗読ワークショップ
13:30 ちさと館
★4日(日) NHK大河ドラマ
「どうする家康 長篠を救え」 20:00放映
★1日(木)~30日(金) めざせ明日のまちづくり」事業パネル展
新城市役所本庁舎1階の情報カフェ
★1日(月)~31日(水) 「2人の写真展」
10:00~16:00 門谷「観来館」
※火曜日休館
★1月27日(金)~7月16日(日)
しんしろ~家康紀行~
設楽原歴史資料館
2023年06月01日
NHKで長篠・設楽原の戦いに関連する放映が続々
きのう5月31日夜10時~10時45分、NHK総合で「歴史探偵 徳川四天王」が放映され、酒井忠次に関連して長篠・設楽原の戦いにおける鳶ヶ巣山奇襲攻撃が取り上げられました。
NHKでは、6月はじめを中心に長篠設楽原関連の放映が続くので楽しみです。
★6月4日(日)
大河ドラマ「どうする家康」第21回「長篠を救え!」
★6月6日(火) 18:10~19:00
NHK総合 まるっと 鳥居強右衛門・・・
★6月7日(水) 22:00~22:45
NHK総合 歴史探偵「長篠の戦い」
2021年5月19日に放送の番組を名作選として再放送
※再放送 6月14日(水) 16:15~17:00
★6月4日(日)
大河ドラマ「どうする家康」第22回「設楽原の戦い」
★8月5日(土) 20:00~21:00 (予定)
BS11 偉人・敗北からの教訓 武田勝頼
勝頼に焦点を当てる中で、長篠・設楽原の戦いを紹介
2023年05月22日
設楽原決戦場まつり開催に向けのぼり旗立つ・・・武者行列参加小中学生募集中!
6月3日に開催される第34回設楽原決戦場まつりに向けきのう21日、設楽原歴史資料館や馬防柵周辺に3本の大のぼり旗と身長ほどののぼり旗数百本が設楽原をまもる会の会員らによって立てられました。
大のぼりは、企業や寺の寄付により作られ、小さなのぼり旗は地域住民が購入したもの。大のぼりは資料館に1本、馬防柵に2本立てられました。数多くののぼり旗が「徳川家薬公ゆかりの地」(市製作)ののぼり旗とともにまつりを盛り上げます。
まつりでは、竹広の信玄塚での戦没者慰霊法要に続き、長篠・設楽原鉄砲隊らによる武者行列を行い、馬防柵で川路覇城太鼓、法螺貝の演武、火縄銃演武を行います。コロナ禍前まで行われていた小中学生による武者行列・演武は行われません。
ただ、子どもたちの参加を願う声も多いことから、資料館の甲冑を身につけ、鉄砲隊などの旗を持って武者行列に参加する希望者を募ることになり、現在募集しています。
【募集対象】小学生6年生~高校3年生
【定員】4人 定員を超えたら抽選 参加無料
【締め切り】 5月28日。
【申込み】 メール shitara@city.shinshiro.lg.jp。
【問い合わせ】 設楽原歴史資料館 ☎0536-22-0673
2023年05月15日
大河ドラマ「どうする家康」スペシャルトーク in 新城・・・観覧募集中
NHK大河ドラマ「どうする家康」での長篠設楽原の戦いの放映を前に、新城市はNHK財団とともに6月11日、出演者による「スペシャルトーク in 新城」を新城文化会館大ホールで開催します、
招待者は、長篠城を守るために奮闘し磔(はりつけ)にされた鳥居強右衛門(すねえもん)役の岡崎体育(おかざきたいいく)さんと家康の長女・亀姫役の當真あみ(とうま あみ)さん、チーフプロデューサー・磯智明(いそともあき)さん。
強右衛門は、長篠城攻防戦で、城を脱出し岡崎城で援軍を要請。帰城あと一歩で武田軍に捕らわれ、長篠城から見える場所で磔刑にされました。
亀姫は、17歳で長篠と新城の両城主を務めた奥平信昌の正室として新城城に入りました。亀姫の墓とされる五輪塔が、西入船の大善寺にあります。
ドラマで、亀姫はすでに出演しており、強右衛門は6月4日に登場の予定。
市は大河ドラマのパネル展も計画していて、計500万円の費用を見込んでいます。
【開催時間】 午後2時~3時
【定 員】 1200人(抽選)
※観覧は無料だが、申込みが必要
【事前申し込み】 6月1日正午まで
インターネットの「新城市観光協会」ホームページ
https://shinshirokankou.com/
強右衛門磔の場所「鳥居強右衛門磔死ノ趾」
大善寺にある「亀姫の墓」
2023年05月06日
2023年05月06日
長篠合戦のぼりまつり②・・・紅太鼓、会場の様子
きのう5日開催の「長篠合戦のぼりまつり」。
紅太鼓の皆さんの華のある演奏を聴きました。長篠城址の会場では、多くの人が集い、それぞれ生き生きと活動してみえました。
2023年05月05日
長篠合戦のぼりまつり①・・・合戦行列
五月晴れのいい天気だったきょう5日開催の「長篠合戦のぼりまつり」。
新城市、市観光協会、長篠合戦のぼりまつり奉賛会が主催するこのまつりは、奥三河最大級。のぼり旗約3000本がなびくまつりで、きょうも大勢の方が来ていました。
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため2020年から3年、規模を縮小し。長篠設楽原の戦いで亡くなった戦没者を慰霊する法要のみ関係者を集めて行われました。今年は4年ぶりに合戦行列、火縄銃演武などのイベントや物産展が復活しました。
合戦行列は、9時30分に鳳来支所を出発。約2㌔を関わり深い武将や姫に扮した皆さん、鉄砲隊などの皆さんが行進しました。
2023年05月05日
今日は“こどもの日”長篠合戦のぼりまつり
今日5月5日は“こどもの日”。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」国民の祝日です。1948年に制定されました。5月5日は古来から端午の節句として、男子の健やかな成長を願う行事が行われています。
“こどもの日”は、こどもの幸福を願う日であるとともに、「母に感謝する日」であることを忘れないようにしたいものです。
あす6日は“立夏”。きょうの最高気温の予想は23℃。長篠合戦のぼりまつりは暑くなりそうです。
今朝6時、鳥居強右衛門戦国街道ランが岡崎をスタートしています。到着予定は午後2時10分。合戦行列は9時30分鳳来支所をスタートし、10時45分長篠城址到着予定です。暑い中お疲れ様です。
2023年05月03日
JA愛知東文化講座「どうする家康・いよいよ長篠」開催
「どうする家康 いよいよ長篠」のテーマで第104回文化講座(JA愛知東主催)が16日午後2時から3時半まで、平井のJA愛知東本店で開催されます。来月のNHK大河ドラマ「どうする家康」の長篠を舞台にした放送を前に、奥三河ふるさとガイドの高田孝典さん(73)が、見どころや裏話などを紹介します。
講座では、三方原の戦い、野田城の戦いなどをプロローグに、長篠・設楽原の戦いの筋書きをたどるとともに、山家三方衆、家康の長女・亀姫などについてわかりやすく解説します。
高田さんは、昨年5月の講座「どうする家康・新城編アラカルト」でも講師を務めていて、家康誕生、井伊谷三人衆、山吉田満光寺、長篠設楽原の戦い、亀姫などについて話し、好評を得ていました。
申込みは、FAXまたはQRコードから。締切りは12日(金)。参加できるのは、JA愛知東管内在住者で、組合員でなくてもよいそうです。
【問い合わせ】 JA愛知東組合員課
電 話0536(22)4135
FAX0536(22)4085