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2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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2024年04月23日

鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日

鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日

 「長篠・設楽原の戦い」(1575年)の口火となった長篠城攻防戦で名を残した鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の450回忌法要が21日、墓のある有海の新昌寺(岡村将志住職)で営まれました。回忌法要は50年ごとに行われています。
 鳥居閣の額が納められた本堂と本堂前で行われた「鳥居祭」の後、強右衛門の墓を前に法要が行われ、岡村住職の読経が響く中、参列者らが順に手を合わせました。
 岡村住職は「昨年6月のNHK大河ドラマで強右衛門が登場して以後、多くの人が磔(はりつけ)の場所や墓を訪れている。強右衛門も喜んでいると思う」と話しました。
 参列者の中に、5月5日の長篠合戦のぼりまつり武者行列で強右衛門役を務める富岡の垣内田智子さんの姿もありました。「強右衛門役に決まり、うれしさとともに、恥ずかしさもある。当日を思うと身が引き締まる」と語りました。垣内田さんは山県昌景役の経験もあり、今回は娘さんとともに参加します。
 強右衛門は長篠城主・奥平貞昌の家臣で、武田勝頼軍に包囲された長篠城から、織田信長・徳川家康に援軍を要請する使者とし派遣されました、任務を果たした帰りに武田軍に捕らえられました。武田軍の命令に反し「援軍は来るぞ」と味方に大声で伝え磔にされました。亡きがらは胴体が新昌寺、頭部は作手鴨ケ谷の甘泉時寺に埋葬されたと伝わります。
 強右衛門の墓は、住民らが1762(宝暦12)年に創建しました。墓碑には命日の転生3年5月16日と戒名「智海常通居士」、俗名「鳥居強右衛門勝商」が記されています。創建後260年余り、慰霊の「鳥居祭」が住民らにより毎年開催されています。
鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日鳥居強右衛門の450回忌法要・・・有海の新昌寺で21日

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