2024年05月22日
JA愛知東文化講座で高田孝典さんが講演「〈回想〉百姓一揆“蓑着騒動”」

JA愛知東主催の第109回文化講座がきのう21日、JA愛知東本店で開催され、「〈回想〉百姓一揆“蓑着騒動(みのぎそうどう)”」のテーマで奥三河ふるさとガイドの高田孝典さん(74)が講演しました。
蓑着騒動は、新城を中心として設楽郡、八名郡、宝飯郡の3郡が伊那県管轄三河国足助出張所の治下にあった1870(明治3)年に、西杉山村の熱血漢・半田春平を中心に百姓2000人が立ち上がった百姓一揆。百姓らが、カマを手に稲藁などで編まれた蓑を身に着けていたことからこう呼ばれていて、記録上は「伊那県騒動」と呼ばれます。
参加者75人を前に、高田さんは時代的背景を語るとともに、安政年間以後の3つの百姓騒動について述べました。
その上で。蓑着騒動について語りました。百姓3000人が富永神社の「天王の森」などに集結し、旗頭の半田春平(39歳)と役所から交渉役を任された庭野村戸長・松井源次(42歳)との直接談判が行われました。松井が役所に百姓の言い分を伝えるが却下され、百姓の不満は松井に向き、百姓集団が松井宅を襲撃します。結局洋式の兵隊が鎮圧し、106人を逮捕しました。春平は3年後信州桔梗が原で服役中に獄死とされています。高田さんは、松井源太記述の「庚午騒擾記(こうごそうじょうき」をもとに松井宅での乱行などについても述べました。
高田さんは「暴動を鎮圧したがわの記録はあるが、百姓側の記録は言い伝えしかない」とし「社会構造の中で農民がいかにしいたげられてきたか、春平だけではどうすることもできなかったことが想像できる」と語りました。
1955年に東郷中学校で、2006年には千郷小学校で創作劇「みのぎ騒動」が上演されたことも紹介されました。千郷小で劇指導をした山下久夫先生も出席していては「先人たちの思いが少しでも伝えられればと、話を聞き必死に勉強した」と振り返り「18年経ってまた光を当てていただき、多くの方に知っていただく機会になってよかった」と話していました。
富永神社には「蓑着騒動農民結集の地」㊤、杉山には「半田春平屋敷跡」㊦の石碑があります。

