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2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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2019年02月18日

満光寺で涅槃(ねはん)図公開中

満光寺で涅槃(ねはん)図公開中満光寺で涅槃(ねはん)図公開中

 下吉田の青龍山満光寺(竹下毅昭住職)で15日から、釈迦(しゃか)の臨終の場面を描いた大きな涅槃(ねはん)図が公開されています。公開は、法要の行われる来月21日頃まで。
 涅槃図は、縦約4㍍、横約3㍍。今から300年前(江戸前期)に水谷法橋僚甫により描かれたとされています。横たわる釈迦を中心に嘆き悲しむ人たち、60匹を超える鳥獣、生母・摩耶夫人、天女たちが色鮮やかに描かれ、保存状態も良好。寺では、毎年釈迦の命日(旧暦2月15日)から1か月余り公開しています。
【満光寺に伝わる逸話】
 武田軍に追われた徳川家康が満光寺に宿泊し住職に翌朝一番鶏が鳴いたら起こしてくれるよう頼みました。その日に限っていつもより早く一番鶏が鳴きましたが住職は約束どおり家康一行を起こし、家康たちは出立しました。
 直後に武田軍が到着。家康は一瞬の差で助かりその礼として満光寺の鶏に三石の扶持を与えたということです。
山の吉田の 満光寺様の
鶏(とり)になりたや鶏(にわとり)に
 ※その後、徳川家光から寺領二十石を与えられました。


満光寺で涅槃(ねはん)図公開中満光寺で涅槃(ねはん)図公開中

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