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2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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新城・勝手に応援隊 › 2016年05月24日

2016年05月24日

新城市長篠城址史跡保存館「春の特別展」あと2週間



 新城市長篠城址史跡保存館で、春の特別展「増瑞寺并(ならびに)自性寺展―新城から中津へ―」が開かれています。来月6日までなので後2週間です。
 奥平家の菩提寺として歴史を重ねた両寺が紹介されています。難しそうですが、なかなか興味深い内容です。
 新城市富永の増瑞寺は、長篠合戦後に新城城へ移った奥平信昌が徳川家康の命で建立。その後の転封(領地をかえる国替え)に伴い、増瑞寺が新城に残る一方万松寺(ばんしょうじ)として、宇都宮、古河など何度かの転封に従い場所を変え、大分県中津で自性寺と改称し現在に至っています。
  増瑞寺には信昌の妻・亀姫が厚く信仰した地蔵菩薩坐像があり、徳川将軍家から地蔵堂領として5石8斗余を与える旨の朱印状が発行されています。今回、市内で初の展示となる3代将軍家光から14代将軍家茂までの朱印状9枚が並んでいます。直接見ることのできない地蔵菩薩坐像の写真パネルも展示されています。
 また、自性寺所蔵の鳥居強右衛門画像は、よく知られた鳥居強右衛門の絵とは少し違い、興味深いものです。
この特別展では、増瑞寺と自性寺が大名・奥平家とどのように関わったかを、書状、伝記、過去帳、地図など多くの史料で知ることができます。
 

 希望する来館者には、一人1枚朱印を書いていただけるそうです。ただし、山内祥二館長が書くので、館長がいるときに限るそうです。
  

2016年05月24日

設楽町「杜(もり)のすみか」で杉浦捷子布絵展



 昨日23日、設楽町小松字丸瀬の高台にギャラリーCafe「杜(もり)のすみか」がオープンしました。
 田口から山道を行くと、高台にきれいな木造の建物があり、玄関先で杉浦捷子さんとお会いしました。気さくにお話をしてくださいました。店のオープンに合わせ、杉浦さんの布絵展を開催しているのです。
 杉浦さんは豊橋市横須賀町にお住まいで、布絵作品作り30年。44歳で初の個展を開催して以降数々の個展を開いているということで、8畳ほどのギャラリーには味のある花や果物、山の風景などの素晴らしい布絵が並んでいました。大きな作品が17点、販売もする小さな作品が10点。6月16日まで開催されます。


 「杜(もり)のすみか」は、豊橋市で長年建築会社を経営してきた佐々木康児さ が妻の孝代さんとともにUターンし建てた店舗兼住宅の木造一部二階建て。


 店内は10人ほどがゆったりと座ることのできる空間で、ウッドデッキからは鞍掛山や鹿島山を眺めることができます。おいしいコーヒーの他、サンドイッチやホットケーキなどの軽食もいただけます。カレーもそのうちに始めたいとのことでした。


 住宅も見せていただきましたが、薪ストーブがよく似合う落ち着いた空間でした。


 佐々木さんと杉浦さんは、豊橋市の自宅が近く、以前から親交のあったということです。玄米工房さんも近くということでした。玄米工房さんのブログにこのお店のことが載っていましたし、お祝いのお花もありました。


杉浦さん、佐々木さん、ありがとうございました。
東栄町月、布川出身のお二人もありがとうございました。

お店の定休日は、木、金曜日。冬季は閉店予定(雪や凍結もあるので)。
<連絡先> 設楽町小松字丸瀬7-8
090-1987-3938