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2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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新城・勝手に応援隊 › 歴史2(作手の城) › 作手の文殊山城址

2017年06月22日

作手の文殊山城址

作手の文殊山城址


 作手の交流館奥から文殊山城址に歩いてみました。
 クマザサいっぱいの道にはササユリが咲いていました。

殊山城・・・城郭写真記録(愛知県)より
【立地】山城
【別称】一夜城
【歴史】1570~1572年武田氏との和睦の証として、三河亀山城の奥平氏が文殊山〔標高661m・比高160m〕に築いた砦城である。奥平氏は和睦を渋ったが、武田氏の強談で一夜で築いたことから「一夜城」と呼ばれた。1573年奥平貞能、貞昌父子は作手を捨てて滝山城へ移り、1575年「長篠、設楽ヶ原の戦い」で織田・徳川連合軍を勝利へ導いた。現在は物見櫓、柵が築かれ、曲輪、土塁、堀切が残る。

作手の文殊山城址作手の文殊山城址作手の文殊山城址作手の文殊山城址作手の文殊山城址作手の文殊山城址

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