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2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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新城・勝手に応援隊 › 歴史3 › イベント2(催し物、スポーツ大会、展覧会等) › 情報 › 源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 

2021年06月21日

源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 

源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 

 豊島の千郷西こども園西にある源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」(約9㌧)と「歌碑」(約1・5㌧)が熱田神宮に献納されることになりました。
 移設工事初日のきょう21日、熱田神宮主催の移設工事安全祈願祭が行われました。
 祈願祭には、熱田神宮の権禰宜(ごんねぎ)・横地利彦氏と工事関係者17人、市・地元関係者ら10人ほどが参列し、権禰宜のお祓い、祝詞奏上、参列者玉串拝礼などが行われました。

 地元豊島の鈴木孝始さん(72)は「今は何もしていないが、子どもの頃は巫女さんが舞う祭りをしていた。市にとっても貴重な碑が里帰りし、ていねいに祀ってもらえることになった」と安堵の表情を浮かべ「松御前については、これからも偲(しの)べるように、新たな祀り方を考えたい」と話していました。
 松御前(尾張職子)は、平安時代末期を生きた熱田神宮大宮司の尾張員職(かずのぶ)の娘で、岡崎、尾張、三河を治めていた千秋季兼と結婚し、37年間同市稲木で暮らし、1130(大治5)年71歳で病死しました。葬られた塚(墓)が稲木の城ヶ峰山頂にあります。御前の子・季範は後に熱田大宮司となり妻との間に由良姫が生まれます。その由良姫が源義朝の正室となり、生まれたのが鎌倉幕府を開いた源頼朝です。
 高さ約2・5㍍の碑は1930年(昭和5)年、熱田神宮の神領地だったこの地に建立され、両脇には「玉葉和歌集中」歌碑と大槻盤渓の碑も設置されました。歌碑には「桜花ちりなむ後のかたみには 松にかかれる藤をたのまん」とあります。
 90年が経過した碑は、23日に熱田神宮境内の名古屋では最古の石橋といわれる二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)のたもとに設置されるそうです。
 熱田神宮にお参りしたときには、ぜひ松御前之碑に手を合わせたいものです。
源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設 

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この記事へのコメント
今日は行けなかったけど、先日見てきました。
宝環器。。。がわからずYahooマップで調べたら、全然違うところを教えられ、結局迷子に。
鉄塔頼りに探し見つけられました。
式の様子ありがとうございました。
塚のある稲木の山ってどこですか?気になってしまいます。
Posted by toko at 2021年06月21日 23:17
三河カントリーの敷地内のようですが、自分は行ったことはありません。知っている方は少ないので、また連れて行ってもらおうかと思っています。
Posted by ナツナツ at 2021年06月22日 03:26
新城市のシンボルの一つを失いお寂しいかと存じますが、熱田神宮にて松御前様を心からお祀り致したいと思っています。
ありがとうございます。
Posted by 堀 at 2021年06月24日 05:56
本当にそうですね。
想像以上に熱田神宮で大事にしていただけることがわかり、ありがたく思います。
熱田神宮に行く楽しみもできました。
Posted by ナツナツ at 2021年06月24日 08:17
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