2021年06月21日
源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」を熱田神宮に移設
豊島の千郷西こども園西にある源頼朝の曾祖母を祀る「松御前之碑」(約9㌧)と「歌碑」(約1・5㌧)が熱田神宮に献納されることになりました。
移設工事初日のきょう21日、熱田神宮主催の移設工事安全祈願祭が行われました。
祈願祭には、熱田神宮の権禰宜(ごんねぎ)・横地利彦氏と工事関係者17人、市・地元関係者ら10人ほどが参列し、権禰宜のお祓い、祝詞奏上、参列者玉串拝礼などが行われました。
地元豊島の鈴木孝始さん(72)は「今は何もしていないが、子どもの頃は巫女さんが舞う祭りをしていた。市にとっても貴重な碑が里帰りし、ていねいに祀ってもらえることになった」と安堵の表情を浮かべ「松御前については、これからも偲(しの)べるように、新たな祀り方を考えたい」と話していました。
松御前(尾張職子)は、平安時代末期を生きた熱田神宮大宮司の尾張員職(かずのぶ)の娘で、岡崎、尾張、三河を治めていた千秋季兼と結婚し、37年間同市稲木で暮らし、1130(大治5)年71歳で病死しました。葬られた塚(墓)が稲木の城ヶ峰山頂にあります。御前の子・季範は後に熱田大宮司となり妻との間に由良姫が生まれます。その由良姫が源義朝の正室となり、生まれたのが鎌倉幕府を開いた源頼朝です。
高さ約2・5㍍の碑は1930年(昭和5)年、熱田神宮の神領地だったこの地に建立され、両脇には「玉葉和歌集中」歌碑と大槻盤渓の碑も設置されました。歌碑には「桜花ちりなむ後のかたみには 松にかかれる藤をたのまん」とあります。
90年が経過した碑は、23日に熱田神宮境内の名古屋では最古の石橋といわれる二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)のたもとに設置されるそうです。
熱田神宮にお参りしたときには、ぜひ松御前之碑に手を合わせたいものです。
この記事へのコメント
今日は行けなかったけど、先日見てきました。
宝環器。。。がわからずYahooマップで調べたら、全然違うところを教えられ、結局迷子に。
鉄塔頼りに探し見つけられました。
式の様子ありがとうございました。
塚のある稲木の山ってどこですか?気になってしまいます。
宝環器。。。がわからずYahooマップで調べたら、全然違うところを教えられ、結局迷子に。
鉄塔頼りに探し見つけられました。
式の様子ありがとうございました。
塚のある稲木の山ってどこですか?気になってしまいます。
Posted by toko at 2021年06月21日 23:17
三河カントリーの敷地内のようですが、自分は行ったことはありません。知っている方は少ないので、また連れて行ってもらおうかと思っています。
Posted by ナツ at 2021年06月22日 03:26
新城市のシンボルの一つを失いお寂しいかと存じますが、熱田神宮にて松御前様を心からお祀り致したいと思っています。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
Posted by 堀 at 2021年06月24日 05:56
本当にそうですね。
想像以上に熱田神宮で大事にしていただけることがわかり、ありがたく思います。
熱田神宮に行く楽しみもできました。
想像以上に熱田神宮で大事にしていただけることがわかり、ありがたく思います。
熱田神宮に行く楽しみもできました。
Posted by ナツ at 2021年06月24日 08:17