2020年09月18日
千郷小学校で橋本克己さん招き「戦争体験を聞く会」

千郷小学校の6年生102人が16日、同校体育館に戦争と平和の資料館ピースあいちの「語り手の会」会員・橋本克己さん(84)=名古屋市在住=を招いて「戦争体験を聞く会」を開催しました。子どもたちは、質疑応答も含め約2時間の講演の中で、橋本さんから満蒙開拓団の一員として中国・満州に渡り孤児となった辛い体験や平和の尊さについて話を聴きました。
満蒙開拓団は,1931(昭和6)年の満州事変から 1945(昭和220年の終戦まで,旧「満州国」に実施した国策移民。東三河郷開拓団は,1940(昭和15)年、東三河地方を送出母体として愛知県が送り出した唯一の開拓団。北設,海老町を中心に146戸が参加しています。
八名村(現新城市)に1935(昭和10)年生まれた橋本さんは一家8人で、昭和17年満州開拓団の一員として、新城から満州竜江省(現黒竜江省)に渡りました。ツンドラ地帯で開拓、穀物を作り、牛馬を育てたが、45年8月9日のソ連軍侵攻が始まり、8月15日以降は現地の人にも襲われ、必死の思いでチチハルへ逃げました。目の前で人が死ぬ姿も見たし、銃口を突きつけられる経験もしたそうです。チチハルでは、医者も薬も食料もない状況の中で、家族みんなが次々とチフスやコレラなどの伝染病で亡くなり、10歳で孤児となった橋本さんは一人で帰国しました。
橋本さんは悲痛な体験やその時の思いを通して戦争の悲惨さを子どもたちに語りかけました。最後に「戦争はむごたらしい。戦争をしないために、これからの人はともに助け合うことを学んでほしい」と訴えました。
時折涙に声をつまらせながら語りかける橋本さんの話に、子どもたちは真剣な目をして聞き入っていました。
片桐心和さんは「つらい思いを聞き、家族の大切さ、食料のありがたさをあらためて感じた」と話し、市川柚月さんは「今では考えられない悲しい思いをした橋本さんが『偉い人(権力者)だはなく、立派な人(尊敬される優しい人に)なってほしい』と言われた言葉が心に残っている」と振り返っていました。依田桜華さんは「75年続いている平和を子どもや孫の時代までずっと続けていけるようにしたい」と誓っていました。
安形美樹先生は「『誰も恨んでいない』という橋本さんの言葉にすべてがにじみ出ている。子どもたちは橋本さんの体験や思いを多くの人に伝えたいという思いがある。今後の学習に生かしていきたい」と話してみえました。
橋本さんは中学を卒業後、歯科医院を経て、天理教の教会で働きました。24歳で結婚し、子どもにも恵まれました。47歳で児童相談所に里親として登録し、これまで10人を引き取って育てたそうです。「いつの時代でも親に恵まれない子どもの気持ちは変わらない。寂しい気持ちは分かるからね」と話しています。
橋本さんは中学を卒業後、歯科医院を経て、天理教の教会で働きました。24歳で結婚し、子どもにも恵まれました。47歳で児童相談所に里親として登録し、これまで10人を引き取って育てたそうです。「いつの時代でも親に恵まれない子どもの気持ちは変わらない。寂しい気持ちは分かるからね」と話しています。
