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2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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新城・勝手に応援隊 › 歴史1(設楽原・長篠) › 情報 › 実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」発行

2023年10月11日

実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」発行

実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」発行実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」発行

 新城郷土研究会会員の髙木松生さん(79)=同市稲木在住=がこのほど、1575(天正3)年5月の長篠・設楽原の戦いに破れた武田勝頼の武節城(豊田市)までの敗走路を実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」を発行しました。
 わずかな直臣と田峯城主の菅沼定忠に伴われて敗走した勝頼一行は、すでに敗報の伝わっていた田峯城に入れず、山中の鷹小屋に一晩隠れ、翌日夕方武節城に辿り着いたとされています。具体的な勝頼の敗走路については、はっきりしていない点も多いです。
 髙木さんは「自分の最後の仕事として、敗走路を歩いて確かめたい」と、2018年11月から23年1月までの4年2か月で、165日を使って実際に歩き、写真に収め聞き取りを繰り返し、地図に落としました。約70㌔、30時間足らずの敗走路は、多くが山道で、草木が生い茂り、道のない場所もあり、迷ったり、戻ったりを繰り返した。同じ場所に7回も行って調べたこともあったそうです。
 冊子はA5版、36㌻。敗走路の状況がわかりやすいようにカラー写真を130枚以上載せ、巻末に高木さんが考える敗走路の地図2枚が綴じ込まれています。表紙の写真は、古道を歩く甲冑(かっちゅう)姿の高木さん。
 「実際に敗走路を歩くと、勝頼の心境を思い哀れさを感じる。この地域には武田家ゆかりの方も多いことから、タイトルには『敗走』ではなく『退却』と配慮させてもらった」と話します。
 冊子は、2200円(税込)。精文館、豊川堂などの書店、設楽原歴史資料館、長篠城址史跡保存館、道の駅「したら」ほかで販売しています。
実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」発行実際に歩いて冊子「勝頼『退却の道』を辿る」発行

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