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ナツ
2014年3月で、38年間の教職生活を終えました。
自由な時間の一部を、愛する新城の情報発信に使っていきたいと思い、このブログを始めました。
始めると、様々な出会いや発見があり、毎日が違う輝きを持つようになってきました。思いがけず在宅記者もやることになりました。
以前子どもたちによくこの言葉を贈りました。
“感激は特にがんばっている人に、感動は心豊かな人に、神様がくれたごほうびです”
自分はがんばっているわけではありませんが、様々な出会いのお蔭で感激と感動の連続。感謝の毎日です。
B型らしくマイペースで、すべてプラス思考で生きてきた自分は、これからもそう生きていきたいと思います。
好きな言葉は「人間にとって その人生は作品である」(司馬遼太郎)
<自作(?)のダジャレ>
お食事券で汚職事件、花粉飛散で悲惨、「つくねは、歯につくねえ。佃煮も、歯につくだにー」・・・


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新城・勝手に応援隊 › 歴史3 › イベント2(催し物、スポーツ大会、展覧会等) › 情報 › 22年ぶりに復活!「富永神社笹踊り歌」

2016年09月29日

22年ぶりに復活!「富永神社笹踊り歌」

22年ぶりに復活!「富永神社笹踊り歌」22年ぶりに復活!「富永神社笹踊り歌」
 富永神社祭礼が10月7日から3日間開催されます。
 富永神社は,1603(慶長8)年下平井村天一天王社の分霊として始まり、1664(寛文4)年祭礼がスタートしました。
 祭礼では、能、雅楽、稚児の舞、笹踊り、神輿、山車・屋台巡行、練り込み、手筒奉納、大筒奉納など様々な奉納行事が行われ盛大です。
 その中の「笹踊り」は、橋向の橋煙社が担当しています。
 笹踊りは、東三河の豊川流域だけに伝わる神事芸能。大太鼓一人、小太鼓二人の踊り手三人が唐子衣装に笠を冠り、胸に太鼓を付けて行います。神社によって振り付けや歌が違い、現在16カ所(うち同市3神社)で行われているそうです。
 橋煙社が続けてきた笹踊りですが、平成6年に師匠が亡くなったことで楽譜も伝える人もいなくなり、この年を最後に笹踊り歌が歌われなくなりました。
 昨年、笹踊りを研究している豊橋市の塚田哲史さんが祭礼に訪れ、生花店「花あそびあさおか」の浅岡勝さんから、最後に「笹踊りの歌」が歌われた平成6年のVTRを入手。塚田さんはVTRを観て、歌を歌詞と楽譜に落とし浅岡さんに渡しました。
 16番まである歌詞には、同神社の由来などが書かれ、囃(はや)し言葉「こらさんさ」が曲を盛り上げています。1番は「天王の実や遷り慶長8年甲辰祭礼の始まりは寛文4年の壬卯枝も栄ゆる笹踊りコラサンサ」
 浅岡さんは、今年の笹踊りにこの歌を復活させようと8月に希望者を募り、練習を開始しました。現在橋向地区の小学1~4年男女7人が練習を重ねています。
 奉納は8日午前10時。
22年ぶりに復活!「富永神社笹踊り歌」22年ぶりに復活!「富永神社笹踊り歌」22年ぶりに復活!「富永神社笹踊り歌」

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この記事へのコメント
 牛久保在住の柴田と申します。
 渡しも、1990年12月22日付「東愛知新聞」掲載された私の寄稿「笹踊りのルーツを訪ねて」以来興味を持っております。
 この寄稿記事が掲載され、橋向の中西光夫さんから連絡があったことを懐かしく思い出します。
 24日に私もブログを開設しました。
 昨年発行した『牛窪考(増補版)』の内容の概要を紹介する記事を投稿しております。
 現在、「笹踊」に関する投稿をしております。
 よろしければ、ご覧ください。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2017年08月26日 20:35
コメントありがとうございます。
笹踊りについて詳しく調べ本にもされていて驚きます。ブログもかなり深い内容ですね。
牛久保小は新任で6年間勤めた懐かしい学校。うなごうじ祭りにも行きましたが、その歴史などについてはよく知りませんでした。
中西光夫先生は残念ながら昨年ご逝去されました。
Posted by ナツナツ at 2017年08月27日 06:19
ナツさん

 私が自分のブログの投稿した笹踊などの言説について読んで頂きありがとうございます。
 昨年の新城のお祭りは私も見に行きました。
 歌があると趣が異なりますね。青年が踊り手で、囃子方も青年だったころを想像しました。
 中西先生に頂いた新城市教育委員会編『新城 文化財案内』の「笹をそめた浴衣着の若衆が編笠を被り、腕ぐみし歌を歌って練り歩く」(同書81頁)という記述や同じく中西先生に頂いた大原紋三郎著『新城歴史ばなし』の三十三話「祭礼の御輿渡御」の「笹踊りは太鼓と笹持ち二人だけが書いてあるが、その他に雀の格好をして、お供する十数人があったはずである」(同書79頁)との記載などを思い浮かべながら。
 新城富永神社の笹踊について投稿しました。読んでいただければ嬉しいです。

 ナツさんのプロフィールを読ませていただくと、私のほうが五歳ぐらい若いように思います。
 店を閉めてしまいましたが、新城のあいちやさんは、祖父の従兄でした。
 また私の母の旧姓は冨永ですが、母方の祖父(1896~1995)は、野田城を菅沼に乗っ取られ、首をはねられたから、それ以降「首なしの冨永」としたとの伝承を持っておりました。
 菅沼の跡継ぎが若死にするからという理由で菩提寺宗堅寺に富永の墓石と位牌を寄進したのを富永の祟りと解釈すれば、祖父の話もまんざらではありません。
 『穂国幻史考』、第二話の「登美那賀伝説」は、その祖父の話を検証したものです。
 野田城主になる前は石座神社の神主だったと祖父は言っておりました。
 同族の滝川氏が神主だったのですから、あり得る話です。

 それと、東三河の笹踊は、現在中断中の当古を含めると、19か所です。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2017年08月27日 18:57
ご丁寧にありがとうございます。
宗堅寺、あいちや、石座神社などずいぶんかかわりがあるんですね。
冨永は、大村町長瀬の冨永ですか?10年前大村小に勤めていたので、浩史さん、義人さん、それと武雄山の実家の3軒の冨永さんを知っています。関係ありますか?
Posted by ナツナツ at 2017年08月28日 08:06
ナツさん

 仰るように長瀬の冨永です。
 武雄山の家は、明治になって戸籍を作るときに富永にしてしまったそうです。
 母の在所の新屋の新屋になります。
 母方の祖父の葬儀の折、武雄山の親父さんを始め、地類の冨永一統の方々もいらしてくれましたが、葬儀が終り、一段落したところで、「なんで点のない冨永と点のある富永」がいるんだという話になりました。
 他の人は祖父の伝承を知りませんでした。祖父は代々伝承してきたといっておりましたが、母は女兄弟は多かったのですが、男は私からいえば伯父ひとりで、伯父が家を出たことから、祖父は私に話したようです。
 ブログでも少し触れていますが、現在『牛窪考(増補版)』の改訂作業を行っており、『牛窪考(増補改訂版)』としてまとめております。母の小中学校の同級生でスポーツ史学会の会長で、筑波大学の教授などを歴任された稲垣正浩さんの紹介文もご遺族から利用許諾を得ましたから、掲載します。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2017年08月28日 08:51
そうですか。
懐かしい気がします。
つながりはあるものですね。
ブログ、ゆっくりと拝見させていただきます。
ますますのご活躍お祈りしています。
Posted by ナツナツ at 2017年08月28日 09:23
ナツさん
 「笹踊」の投稿完了しました。
 新城についても言及しました。
 市内の富岡や大宮は影響を受けて始めたと思われます。
 大木については新城から伝わったとの伝承があるものの、小太鼓二人の動きが常に対称であるなど、牛久保の影響とみることができる特徴もあります。

 笹踊朝鮮通信使影響説にいち早く賛同してくださったのが、中西先生でした。
Posted by 柴田晴廣柴田晴廣 at 2017年08月31日 19:20
研究というのはこだわりを持って丁寧に。そして常に修正を加えていくものなんですね・・・勉強になります。
笹踊りについてはこれからも関心を持って目を向けていきたいと思います。
いろいろとありがとうございます。
Posted by ナツナツ at 2017年09月01日 07:51
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